明治元年(1868)、江戸城から将軍が去り、明治新政府の世となると、山王祭・神田祭も大きく変わっていきます。上覧がなくなり、氏子町の住民構成が変わり、そして巡行路も大きく変更されていくなかで、祭礼の意義や行列の構成もしだいに変貌を遂げていきます。ここでは現在も山王祭の際には麹町三丁目町会の御酒所で飾られている、最晩年に河鍋暁斎が描いた蘭陵王の幕など、祭礼の過渡期の時代を紹介します。
〈河鍋暁斎が描いた御酒所「幕」麹町三丁目町会(複製)〉
幕末から明治前半の江戸・東京で活躍した狩野派絵師・河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい) は、“明治日本の巨匠”と評される、北斎に次ぐ人気を誇る絵師です。本展では、暁斎が描いた「御酒所幕(みきしょまく)」を高性能スキャンし、実物に近い状態で展示します。幕の現物は、山王祭で現在も現役で使用されており、麹町三丁目町会が所有しています。
河鍋暁斎とは?
明治初期に投獄されたこともあるほどの反骨精神の持ち主で、多くの戯画や風刺画を残した絵師。狩野派の流れを受けているものの、他の流派・画法も貪欲に取り入れ、自らを「画鬼」とも号している。その筆力・写生力は群を抜いており、海外でも高く評価されている。
河鍋暁斎記念美術館
〈天杯頂戴(錦絵)(複製)〉
明治元年(1872)、明治維新によって、徳川の世が終わり江戸(東京)に天皇陛下が居を移すことになります。新政府は徳川の町である江戸を慰撫するため、各町中にお祝いの樽酒を配りました。それを喜んだ江戸の町々は 天朝さまから下された(頂戴した)と喜び、各地区で祭礼山車をだしてお祝いします。山王氏子の日本橋もお祝いした様子が「天杯頂戴(てんぱいちょうだい)」に描かれ、残されています。
〈その他の展示物〉
明治四年「大賞祭豊明節会奉賀祝」(錦絵)(複製)